「死んだら永遠に無」は本当? 科学と宗教から考える死後の世界と恐怖の克服

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三途の川と提灯

人は死んだら無になると聞いたことがありますか?一体誰が言い始めたのでしょうか。人間がこの世に生をなしてから今まで多くの人が死をどう捉えるか悩んできました。そして科学が著しく発達した、現代を生きる私たちも死を今だ理解していません。
そこでこの記事では「死んだら無になる」と語られる内容を中心に、宗教的な観点や別の視点を交えて紹介します。死を考えることは今の生を真剣に考えることにもつながる行為です。
自分の人生の長さや時間を認識すると、やるべき行動や思考方法などが変化をしてきます。
最後まで読んで死を避けるものではなく、生と一緒に考えてみましょう。

お墓の口コミ監修者:株式会社ディライト 代表取締役 高橋亮
著者・監修者
株式会社ディライト 代表取締役
高橋 亮

葬儀の人材派遣と集客支援の最大手、株式会社ディライトの代表取締役。20歳で葬儀の人材派遣スタッフとして働き始め、独立。以降約20年間、葬儀、お墓業界の「人の困った」と「集客の困った」を解消し続けている。

「葬儀業界のインフラ企業」を目指して!AI活用で課題を解決するニッチ市場のオンリーワンとは
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お墓の口コミ編集者:お墓ディレクター2級 竹田勇飛
編集者
お墓ディレクター2級
竹田 勇飛

東京都出身。計400社以上の墓石、葬儀会社と繋がりを持ち、お墓ディレクター2級を有している。消費者に有益な情報を届けたいという想いから、現在「お墓の口コミ」を運営している。

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人は死んだら無になる視点について

人は死んだら無になる視点については、科学的な側面とそれ以外の側面で分別されます。科学的な視点は、学術的に脳の活動がメインです。それ以外では人の思いや内面、伝承など不思議な体験を中心に説明されます。

科学的な脳の視点

人が死んだと判断される時点は、呼吸停止や心肺停止状態とともに脳の活動停止も含まれます。脳の活動は、今私たちが生きている世界です。死に近づくと脳は突然止まるのではなく、少しずつ活動が弱まりやがて停止するといわれています。その後、脳の活動停止=意識ゼロが発生して人は死を迎えるのです。
つまり科学的には意識ゼロは無の状態なので、死んだら無と言えます。

幽体離脱や死後の世界など非科学的な視点

臨死体験や幽体離脱などは死を迎えたはずなのに、意識がゼロではなく何となくある状態を指しています。人の死期を「お迎えが来る」と言ったりしますが、ご存じでしょうか。
この「お迎えが来る」の言葉自体も、来世に導いてくれる何者かが存在しているのをまるで目にしているようです。まさに死んだら無ではなく、意識は生きているように語られます。他にも幽体離脱や臨死体験も、意識的には無の状態ではないものとされます。
つまり死んでも無=ゼロではないということです。

死後の世界について宗教別に考える

自分の死後に救われたいと、古来から誰しもが思っています。どの宗教においても、死後の救いを説いてきました。ここでは、死後の世界を宗教ではどうとらえているかを解説します。

仏教の場合

日本で広く信仰されている仏教は、人の死後は極楽浄土が待っていると説いています。
飛鳥時代に朝鮮半島を経由して、仏教は伝来しました。やがて奈良時代から平安時代になると、経典や戒律を学んで悟りを開いた僧侶の力によって、国家安寧などの現世利益を願ったものが中心でした。
その後に鎌倉時代に入ると庶民にも開かれた仏教が広まり、念仏を唱えれば極楽浄土に行けると説く宗派が多数出現します。
時代を通じて共通しているのは、輪廻転生といって人は生きている間の行いにより死後が決まる考え方です。そこには死後=無ではなく、六道という世界があり新たにそこでの生まれかわりが発生するとされています。
現代でも耳にする地獄や餓鬼などは、六道の1つです。そのような死後の苦しみから解放されるのが、涅槃(ねはん)と呼ばれる世界でここでもやはり死後=無ではありません。

神道の場合

神道は、日本古来の宗教です。神道は八百万神(やおろずのかみ)といって、森や土地など万物を神と考えています。仏教のブッタやキリスト教のイエスのような開祖は、存在しません。
神道では死後に氏神様に代表されるように子孫を見守る神様、ご先祖様となるので私たち日本人にはとても身近に感じるのではないでしょうか。
また日本の神話にもある黄泉の国には亡くなった者たちの魂が存在し、私たち現世とつながっていて身近にいると捉えられています。

キリスト教の場合

キリスト教では、人間の魂は永遠に不滅です。死後の不滅の魂は、審判を受けて天国や地獄へと導かれます。またイエスが処刑後3日目に復活したとされ、不滅の魂・復活再生が一連の信仰となっています。現代でもイースターとして祝い、キリスト教では大切な日です。

死後の世界を別視点で考える

三途の川と棒人間

死後の世界は、恐怖感や畏敬の念や興味本位などさまざまな視点で語られます。むかしから言い伝えや絵画などで表現され、現代でも書物や映像などでも見られ多くの人にとっての関心事の1つです。
ここでは、死後の世界を以下のキーワードをもとに解説します。

三途の川とは

三途の川は仏教思想の中で、仏教発祥の地のインドでもガンジス川が三途の川として伝わっています。三途の川は現世と来世を分断していて、死後7日後にこの川を死者は渡ります。
また「三途」とは川を渡る場所が3ヶ所あるとされ、生前の行いによって振り分けられるそうです。現代ではなくなりましたが、六文銭(ろくもんせん)と言う三途の川を渡るお金を棺の中に入れる習慣がむかしはありました。
死後の世界を語るときに三途の川を渡ろうとしたら死んだ肉親に止められた、橋の先に花畑があったなどのエピソードが語られます。
真相は不明ですが、古くから日本で伝わる思想の1つです。

輪廻転生とは

輪廻も転生も、生まれ変わりを繰り返す意味です。輪廻転生も仏教用語の1つで、生前の行いによって6つの世界への生まれ変わりが起きます。有名なエピソードでは、前代の転生者として王位継承されたのが、チベット仏教のダライ・ラマ法王です。
日本でも伝承としてですが、学問の神様として知られる菅原道真と首塚で知られる平将門はともに輪廻転生した人物同士とも語られています。
輪廻転生も日本で長く伝わる伝承の1つです。

最後の審判とは

最後の審判はキリスト教思想で世界の終わり(この世の終わり)に、人間が神の裁きを受けるというものです。ミケランジェロの最後の審判の絵画が、有名でしょう。最後の審判で、天国へ導かれる者と地獄へ行く者とに分かれます。また終末思想、ハルマゲドンや復活再生などキリスト教に由来する世界観は、現代でも多く耳にする機会があるのではないでしょうか。

霊界とは

霊界は、死んだ者の魂がとどまる場所とされています。神道では亡くなった者はご先祖様となり、現世の私たちを見守ってくれます。また輪廻転生などの生まれ変わりなどの思想も、神道にはありません。

生まれ変わりの都市伝説

都市伝説とは嘘か本当かの真偽不明のものです。その都市伝説の中でも、生まれ変わりに関するものがいくつか存在します。
子供が生まれ変わりになるむかしからの「六部殺し」が有名です。
これはある夫婦が最初の子供が二人に全く似ていないことから育児に悩み、ある日崖に突き落としてしまいます。その後生まれた子供は、二人にとても似ていて溺愛します。
そして時間が経過して、同じ崖に行ったときに「今度は落とさないでね」と前の子供の顔で親に語るという内容です。
また現在でも昭和の戦時中の戦艦大和に乗船した少年の話しや、9.11同時多発テロで犠牲になった人の生まれ変わりの少年などたくさんあります。
いずれも確たる証拠はないのですが、語られる内容は少年がまるでそこにいたかのように語るそうです。
世の中には、科学では説明しきれないこともあるかもしれません。

死=生とする死生観とは

高齢化社会を迎えている現代では、終活に代表されるように死生観を考える人も増えています。死生観とは、自分の最期を考えるだけではありません。残りの時間などを意識すると、自然に今の生き方も同時に考えるようになるでしょう。ここでは死生観について解説します。

自分の気持ちに正直になる

死を意識する・残りの人生を考えると、自分の本当の気持ちに正直になります。自分がやり残したこと考えてみましょう。最近では「バケットリスト」と言って、自分の人生を5年や10年のスパンで目標や夢を書き出すというブームもあります。
人生の区切りを意識することは、自分自身の見直しにもつながるでしょう。

大事な人と過ごす・感謝を伝える

自分の人生の時間を意識すると大切な人との時間を意識し、感謝の気持ちを持てるようになるでしょう。大切な人を思い描くとその人の時間も認識し、ともに過ごせる時間を大切にする行動に移せます。その中で「ありがとう」の感謝を伝えましょう。ポジティブワードは脳が活性化し、良い影響があると言われています。家族などの大切な人との時間を、たくさん持ちましょう。

有名人の死生観

死は誰にでも訪れるもので、有名・無名を問いません。今までどんなに傑出した偉大な人物も、やがては死を迎えます。残された私たちができるのは他の人の死生観に触れ、自分にも活かすことではないでしょうか。
落語家の笑福亭鶴瓶さんは、「生まれるのも日常、死ぬのも日常」という師匠の言葉を大切にされているそうです。
女優の樹木希林さんは、「死は万人に訪れるもの、それを直視してこそ時間を有意義にできる」と語っています。
最後はマルチタレントの北野武さんです。バイク事故で生死をさまよってから、死生観が大きく変わったそうです。著書にも「たけしの死ぬための生き方」という著作がありますし、こんな言葉もあります。
「人間は一人で生きて一人で死んでいく。で、どうする?」
人生をどう描くかは自分次第だと、私たちに問いかけているようです。

よくある質問

三途の川をいつ渡るのか?

三途の川は、死後7日たってから渡るとされています。三途の川は仏教の教えで、来世と現世を分けている川です。三途の川は生前の行いによって、川を渡る方法が変わるとされています。また川を渡る通行料として、六文銭を死者に身に付けて納棺する風習もかつてはありました。

死んだ人に話しかけてもいいですか?

死んだ人に話しかけるのは、特にタブーではありません。最後のお別れとして感謝や思いを語り、自分の気持ちに整理をつけるのも重要です。
ただしあまり話しかけると、故人に未練が伝わり成仏できないとも言われます。

四十九日法要の意味とは?

四十九日法要とは仏教でこの日を境に、故人が成仏し極楽浄土に行く日とされています。残された私たちもこの日までは喪に服する期間とされ、四十九日法要以後は日常に戻る忌明けです。
現在でも四十九日法要は、一つの区切りとして大切にされています。

死んだ魂はいつまでいますか?

仏教では死後49日まで魂はいるとされていて、その後に極楽浄土で成仏します。キリスト教では49日の概念はなく、死後天に召されて魂が浮遊するような考えはありません。
ちなみに魂が供養されない状態を怨念や怨霊と言います。古代日本では、菅原道真や平将門がとても恐れられていました。
しかしその後は丁重に供養され、今では学問の神様・除災厄除けの神様として祀られています。

死生観とはなんですか?

死生観とは自分の死を考えることが、今を大切に生きることにつながるとする思想や価値観を意味します。死は不確実で恐れを持ってしまいますが、誰にでも訪れるものです。
死を考えることは、残りの人生を真剣に考える契機にもなります。むやみに恐れず感謝の気持ちを持って今を大切に生きましょう。

まとめ

死んだら永遠に無とは科学的には脳の活動の終わりと、肉体的には火葬による消失を指して無とされています。しかしマインド的には古来より世界中で輪廻転生や復活再生などと考えられ、永遠に無ではなくそれぞれの心の持ちよう次第です。
無とは存在や思いがなくて虚無感がただよいますが、心の拠り所として思うほうが気持ちが救われるのではないでしょうか。
また死を考えることは今を真剣に生きる考えにもつながり、自身の死生観の見直しにもなります。
極端に死を恐れず、自分の時間にベクトルを合わせて生きましょう。

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