真宗大谷派って聞いたことあるけどなに?
親や親戚から、「うちは真宗大谷派だよ」と言われたことがある方もいらっしゃると思います。
ただあまり宗教のことはよく知らないし、大谷派と聞いても、うーん…って黙り込んだり、答えられない方も多いはず。
今回は浄土真宗大谷派と真宗大谷派が、違うものなのか、はたまた同じものなのか、はっきりさせます!
答え言っちゃう!同じ大谷派です!

浄土真宗大谷派と真宗大谷派は同じものです!!
京都市下京区にある東本願寺を総本山とする、浄土真宗の一派です。
仏教の宗派の分類上、浄土真宗と明らかにする場合があります。
真宗大谷派だけだと、どこの宗教かわからなくなってしまう…。
そこで、浄土真宗を前につけて浄土真宗大谷派とすることによって、わかりやすくしているのです。
また、地域やお寺によっても、浄土真宗大谷派と呼ぶこともあります。
浄土真宗本願寺派と区別する目的も!
浄土真宗大谷派とすることによって、浄土真宗本願寺派とは違うもので、東本願寺側であることを明確に表しています。
公式な場では、真宗大谷派と呼ばれています。
ここでおさらい!浄土真宗ってなに?

浄土真宗という宗派については、うっすらと聞いたことがあると思います。
ただどんなことを教えている宗派なのか、いまいちわかってないよという方もいるはず。
ここでは浄土真宗について、簡単に解説していきます!
キーワード①阿弥陀如来
浄土真宗は阿弥陀如来(あみだにょらい)がご本尊様です。
経典は「浄土三部経(じょうどさんぶきょう)」と呼ばれる3つの経典からなります。
阿弥陀如来は「生きとし生けるものすべてを救う」と誓った、器の大きな仏様です。
そんな阿弥陀如来の慈悲を信じて、「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」と念仏を称(とな)えるだけで、極楽浄土(ごくらくじょうど)と呼ばれる美しい場所に仏様として往生(おうじょう)、すなわち生まれ変わることができると教えています。
阿弥陀如来の極楽浄土に往生する教えだから、浄土真宗と呼びます。
キーワード②親鸞聖人
浄土真宗は親鸞聖人(しんらんしょうにん)によって開かれました。
親鸞聖人は初め、9歳という若さで出家した、天台宗の僧侶でした。
現在も有名で観光スポットでもある、比叡山延暦寺で修行を頑張りましたが、ある日、現代風にいうところの方向性の違いを感じて、天台宗の僧侶を辞め、山を下ります。
京都中をふらふらとさまよっていたある日、浄土宗の開祖である法然上人(ほうねんしょうにん)に出会います。
法然上人は阿弥陀如来の念仏の先駆者でした。
親鸞聖人も念仏のパワーに素晴らしさを見出し、生涯を通して念仏を称えることのありがたさを布教し続けました。
キーワード③他力本願
浄土真宗は他力本願(たりきほんがん)なしに語れません!
他力本願とは、阿弥陀如来が生きとし生けるものすべてを救おうとする慈悲に、すべてを委ねることです。
阿弥陀如来の慈悲は、難しい言葉で「本願力(ほんがんりき)」といいます。
注意したいポイント!
他力だからといって、他人任せにしたり、他人に依存したり、成り行きに任せたりすることではありません。
阿弥陀如来の本願力を信じて、「南無阿弥陀仏」と念仏を称えていれば、死後すぐに極楽浄土に往生して仏様になる。
成仏するための修行も必要なく、どんな人でも救われる…。
信じる者は救われる!とはこのことを言っているのかもしれませんね。
僧侶の常識をくつがえす!3つのポイント
浄土真宗では、親鸞聖人が生きていたころから、他の宗派では許されていない3つのことをOKとしていました。
①お肉が食べられる
②結婚ができる
③坊主にしなくて大丈夫
僧侶なら絶対NGでしょ!と思うことが、当時から許されていました。
阿弥陀如来と同じく、懐の深い宗派だったことがわかりますね。
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親鸞の子孫、蓮如がわかりやすくして人気に?!

親鸞聖人の時代から少し経ち、室町時代に入ると、第8代目の蓮如上人(れんにょしょうにん)が浄土真宗を誰でもわかるように、簡単にまとめて教えました。
簡単にまとめた手紙のようなものは、「御文章(おふみ)」と呼ばれています。
お葬式や法事のときに、よく読まれる「白骨の御文章」もその一部です。
「朝には紅顔ありて、夕には白骨となれる身なり」
朝は健康であっても、夕方には死んでしまうこともある。
人生のはかなさを教えてくれる手紙です。
全国に広まり、アンチも登場!
こうして、もっとわかりやすくなった浄土真宗は、近畿や東海、北陸地方など、全国に広がり、浄土真宗のお寺である本願寺の人気に火がつきます!
しかし、人気が出るということは嬉しいことばかりではありません。
人目につく機会が増え、アンチも自然と増えてしまします。
浄土真宗の場合も、天台宗である比叡山を刺激してしまい、本願寺を一つ壊されてしまいました。
織田信長にも目をつけられる?!
室町時代からさらに経ち、みなさんもご存じの織田信長がトップにいたころ、浄土真宗は以前にも増して人気になり、本願寺の仏教勢力としての力はとてつもないものになっていました。
各地の大名とも仲良くしていて、あるとき、その大名たちと一緒に織田信長にたてついてしまいます。
それにより、織田信長から目をつけられてしまい、10年に渡って、現在の大阪府にあった石山本願寺を拠点とした石山戦争が勃発しました。
その後、本能寺の変により織田信長が没したため、浄土真宗はなんとか生き残ることができました。
徳川家康のたくらみで西と東に分かれる?!
徳川家康がトップになり江戸時代に入ったころ、本願寺では後継者をめぐって、兄弟間で対立している最中でした。
当時、仏教勢力としても絶大な力を誇っていたため、トップになった徳川家康からしても、本願寺というのは目の上のたんこぶのような存在になっていました。
本願寺の第11代目であった顕如上人(けんにょしょうにん)の死後、長男の教如(きょうにょ)と三男の准如(じゅんにょ)が、どちらが後継者になるかもめていましたが、亡き織田信長と対立をしていた教如は周囲の支持を得られなかったため、准如が跡を継ぐことが決まりました。
徳川家康はそこに目をつけて、不満でいっぱいだった教如をそそのかし、新しい本願寺を与えて、浄土真宗を西と東に分けたのです!
正式に跡を継いだ准如上人がいる本願寺を「西本願寺」、教如がトップとなった新しい本願寺を「東本願寺」と呼び、こうして西と東に分かれました。
西本願寺を総本山とする浄土真宗を「浄土真宗本願寺派」と呼び、東本願寺を総本山とする浄土真宗を「真宗大谷派」と呼びます。
「お西さん」と「お東さん」の違い

浄土真宗本願寺派は通称「お西さん」。
真宗大谷派は通称「お東さん」。
江戸時代から明治時代までは西と東で対立が続きましたが、現代においてはもう敵対関係は一切ありません。
お互いの活動を尊重しながら、それぞれの信仰を続けています。
それでは、西と東で違うところはあるんでしょうか?
気になるポイントを解説していきます!
比較ポイント①お経
浄土真宗は、「浄土三部経」と呼ばれる3つの経典を教えとしています。
①仏説無量寿経(ぶっせつぶりょうじゅきょう)
阿弥陀如来の「生きとし生けるものすべてを救う」と誓った48個の本願を教えるもの。
②仏説観無量寿経(ぶっせつかんむりょうじゅきょう)
阿弥陀如来の極楽浄土の美しさを描写し、心の中でイメージすることで救われることを教えるもの。
③仏説阿弥陀経(ぶっせつあみだきょう)
極楽浄土の素晴らしさと「南無阿弥陀仏」と念仏を称えることで救われることを教えるもの。
真宗大谷派では浄土真宗本願寺派よりも、②仏説観無量寿経を重視しています。
また、正信偈(しょうしんげ)という、親鸞聖人が①仏説無量寿経の教えを詩のようにまとめた文があります。
これは阿弥陀如来の救いの本質について書かれたもので、浄土真宗本願寺派では、節をつけて読まれますが、真宗大谷派では、節を一切つけずにさらっと読まれます。
比較ポイント②ご本尊
浄土真宗は、無限の寿命と光を持つ仏様「阿弥陀如来」をご本尊様としています。
お葬式などでご本尊を供えるときは、絵像(えぞう)・木像(もくぞう)・名号(みょうごう)のどれかを使います。
絵像や木像の場合、阿弥陀如来は、来迎印(らいこういん)と呼ばれる、右手を上げて左手を下げているポーズをとっています。
「南無阿弥陀仏」と文字で書かれた名号と呼ばれるものをご本尊として飾ることもあります。
真宗大谷派では、絵像の阿弥陀如来をご本尊様にすることが多いです。
比較ポイント③念仏
浄土真宗本願寺派では、阿弥陀如来に対しての、お礼や感謝の意味合いで念仏を称えます。
念仏は阿弥陀如来を信じている証として称えるものであって、称えることで救われるわけじゃないとしています。
真宗大谷派では、念仏を称えることは、阿弥陀如来の本願のはたらきに目覚めるものとしていて、阿弥陀如来が称えさせてくださるものと考えています。
阿弥陀如来の救いはすでに決まっていることで、それに気づくことが大切としています。
比較ポイント④信仰心
浄土真宗本願寺派では、阿弥陀如来の救いを疑わずに信じることそのものが大切だと教えています。
信じていればすでに救われていますよと、安心感を与えるものです。
そのため、阿弥陀如来にすべてをまかせて、念仏を称えていれば、安心して日々を生きることが可能と考えています。
真宗大谷派では、阿弥陀如来をただ信じるだけじゃなく、阿弥陀如来のはたらきに気づくことが信仰の本質と教えています。
自分の信じる心も阿弥陀如来のはたらきによって起こるもので、信じる心を疑うことですら、阿弥陀如来の導きとして受け止めましょうとしています。
自分の心は置いといて、阿弥陀如来のはたらきの中に生かされていることに気づくのが大事だといっています。
比較ポイント⑤現代の活動内容
浄土真宗本願寺派では、伝統を重視していて、浄土真宗の中でも最大の宗派となっています。
一方、真宗大谷派では、伝統だけではなく、社会問題や人権問題にも積極的に取り組んでいて、宗教というのは亡くなられた方への救いだけじゃなく、現代社会全体にも影響を与えるべきだと強く考えています。
比較ポイント⑥僧侶の衣装
浄土真宗の僧侶は、黒衣(こくえ)を基本としていて、阿弥陀如来の教えを説く者としての衣装を着ています。
通常の読経や法要では、輪袈裟と呼ばれる短めの袈裟を首からかけています。
重要な法要では、黒衣の上に五条袈裟や七条袈裟というものを着用しています。
浄土真宗本願寺派では、格式や伝統を重視しているため、落ち着いた色合いの衣装を着用しています。
輪袈裟:紫色・茶色などが多い
法衣:黒色の黒衣が中心
五条袈裟・七条袈裟:落ち着いた色合いが多い
角帯:黒色の帯を締めている
衣の形:全体的にシンプルで伝統的な衣装
真宗大谷派では、社会活動をしたりと革新的な動きを取り入れることが多く、衣装も明るく華やかなものを着用しています。
輪袈裟:黄色・オレンジ色が多い
法衣:黒色の黒衣の他に灰色や茶色の法衣もある
五条袈裟・七条袈裟:明るい色や金糸の装飾が多い
角帯:紫や茶色の帯を締めている
衣の形:浄土真宗本願寺派よりもややゆったりとした作りの衣装
あれ?なんで唱えるじゃないの??
ここまでお読みになったみなさん。
ちょっとモヤモヤした気持ちを抱えていないでしょうか?
最後にすっきり解説します!
浄土真宗では、念仏を称えると書きます。
「南無阿弥陀仏」という念仏の構成をひも解いて見てみると、「南無」と「阿弥陀仏」で構成されています。
「南無」とはどういう意味なんでしょうか?
なんと、大切にするという意味なんです!
「阿弥陀仏を大切にしている」という意味になり、阿弥陀仏をよりどころとして称える…。
だから、称えるがふさわしいということで、唱えるは使いません。
すっきりしましたでしょうか?
まとめ
今回は、浄土真宗大谷派と真宗大谷派の違いをテーマに解説しました!
違うものかと思っていたら、まったく同じもので、脱力されたかと思います。
いわゆる表記の違いというだけでした…。
家の宗派が、大谷派だった方も、そうでなかった方も、今まで抱えていたモヤモヤが消えたのではないでしょうか?
これで大谷派について聞かれても、答えられるはず!